11月25日(水)に開催された図書館カフェの感想です!


11月25日(水)に開催の図書館カフェにご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました。

この日のカフェ(「クリスマスブレンド」という美味しいコーヒーで始まりました)の感想が届いているので、以下に掲載させていただきます。
みなさまぜひご一読ください!
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【イ・サン(井川先生)】

相手と対話するとはどういうことか。何も隠し立てすることなくありのままを表明すればよい。他者と対立が起こったならその都度修整すればよい。クリアである。
他方、どうしても自分とは背景も価値観も違う他者がいる。自分が納得する仕方とは全く異なる思考様式を持つ人々がほとんどである以上、われわれは他者と円滑に交渉すべく、その都度微調整をするべきだ。と述べる人もある。多くの人はそう考えよう。
老獪なのは、その場その場で表現を変えればよいという人もいる。自分が素直に押し通せるならそういうスタイルを通せばよいし、そうでなければ相手の状況やいろいろな条件を熟知して間合いをはかりつつ手探りで話しをすること。

ただ一つ疑問もある。自分を通そう等するとする人も、いつだってどんなときだって同じでもなさそうなこと。気が変わることもあるし、価値観が一日でがらりと変化することもある。他者~社会と言ったって、団塊と、バブルと、ゆとりと、悟りとでは偉い違いがある。社会にだって「芯」はない。
流動的だというのはありきたりかもしれない。
もしかしたら根底的に万事に「意味」はないのでは……?

などと言いつつ、僕たちは何か予感をもって、その都度手探りしながらも、何らかの生きている自覚、力、リアリティーを欲し、さしあたり煩悶するしかないのかも。
なかなか悟りは開けません。すべての時間も空間も見透すことはできないのですから。

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【さっちゃん(五十嵐先生)】

今回の図書館カフェには、岩手県の高校生、一般のサラリーマンの方々、それから学内外の学生・教員のみなさんが参加してくれた。テーマは「本音が言えない」。

自分の意見や感情がないわけではない。だが、それを表に出すことはできない。出すと人にどう思われるか。それが怖くて言えない。といって、人の顔色を気にして自分の意見や感情を曲げたり隠したりばかりしているとストレスがたまる。とかくこの世は、、、というのは漱石の昔から変わらないようだ。
「いや、むしろ本音は隠すのが社会の常識」「衝突は避けるべき」「べき論以前に怖くて言えない」「いや衝突しても自分の意見や感情を伝えても良いのではないか」「人の顔色を窺っているうちにもう自分の本音がわからなくなってしまった」「もしかすると人の顔色を窺って何も言えないというのは、実はむしろ人を操作しようとしているのでは?」などなど、様々意見が出ていつものように議論は盛り上がった。
初めての参加者も、また「人の顔色を窺ってばかりで自分の意見など絶対言えない」という参加者も、気がついてみると不思議なことに、たとえ衝突しても率直に、かつ正直に話せてしまっているのがこの哲学カフェの良いところ。この日も真剣に(全員が!)自分の思いを話し、話はさらに、「いじめ」の話や「コミュニケーションってそもそも何なのか」「交渉とコミュニケーションはどうちがうのか」「対話は誰のためのものなのか」へと発展した。
終わりの時間が来た時には、みなさんそれぞれすっきりした顔をし、初対面であるにもかかわらず(しかも議論ではかなりはっきり対立したにもかかわらず)すっかり親しい関係が生まれ、自分にとっての発見があった、自分がわかった、変われたと話して笑顔で帰っていった。

「変われた」というのは嬉しいこと。もしかすると私たちはいつも本当は、変わりたがっているのかもしれません。で、多分、ここにこそ「対話の効用」、つまりまさに「ソクラテス・サンバ・カフェの効用」があるのかも。