今月は先にお伝えした22日(木)の図書館カフェのほか、26日(日)につくば市市民活動センターで哲学カフェを、そして29日(水)には「取手ホストファミリーの会」さまからのご依頼をいただいて出張カフェを開催させていただきました!
26日・29日それぞれの感想をアップしますので、みなさまぜひご覧になってみてください。
まずは26日の哲学カフェの感想です!
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【 さっちゃん(五十嵐先生) 】
日曜日のカフェは、筑波での開催を心待ちにしていてくれた県内の方たち、東京からの参加者のみなさん、それからモロッコでの海外協力隊の二年間を終えて帰国したばかりのバイオ!!を迎えてとても充実した時間になった。
話題は、「五年生なのに四年生の算数がわかっていない。夏休みに親がちゃんと指導するように」と担任に言われて困っている、あるお父さんの話。
「生徒に学習内容を理解させるのは教師の仕事。その仕事を達成できない自分の無能さを棚に上げて、しかもそれを親に丸投げするなんて、なんて無責任な教 師!!」「生徒が成長しないのを生徒のせいにするなんて、小学校の先生って楽な仕事だね」「でもそういう教師だけじゃない、良心的な先生だってたくさんい る」「どっちにしても、子供が勉強嫌いで、しかも親や教師がやらせようとしても勉強しないとなるとどうすればいいものか・・・」「やらせようとするからイ ヤになるんじゃないか? 誰でも強制されたら逃げ出したくなるのは当然だ」「そんな人間関係の中で主体性が育つのか?」「でも、子供のやる気を待っていては何も始まらない。子供な んて、自分から勉強しようなんて絶対に思わないはずだ」「大人がほっといたら子供は絶対にダメになるだけだ」etc…
参加者からの議論はご自分の経験も交えて大変盛り上がった。
誰もが自分の子供時代を持っていたのに、大人になるとそれを忘れてしまう。
子供の夏休みというのは、ぼんやり雲を見ているような、暑いさなかに自転車でうろうろしているような、一日中暇に任せて本を読んでいるような、そういう時間であるはずだ。
私の夏休みもそういう「非生産的な」夏休みだった。だが、そういう子供時代の夏休みが、大人になったときのかけがえのない人生の豊かさを生み出してきたのだ。
子供には子供の時間がある。
子供のときしか持てない「時間」というものがあるのだ。
その時間を十分に生きてこなかった「大人」は貧しい。
私の周りの大学生を見ていても、子供時代に自由な(大人の目から見ると「無駄」な)時間を生きてきた学生は例外なく面白い。のびのびと自分を生きる彼らは エラーもするがトライもする。結果、成長していく。しかも自分と社会に対する基本的信頼感も持っている。だが、子供のときに親や教師に言われるがままに勉 強してきた「小さい優等生」たちは、残念なことに例外なく<伸びしろ>が小さいのだ。心に傷を負っている学生もかなりいる。彼らの口癖は「ど うせ」だったり「自分なんか」だったり「社会なんて」だったりする。
なぜだろうか?
精神分析家のカレン・ホーナイは言う。どんな子供も大人に愛されたいのだ、と。愛されるために大人の褒めることをするのだ、と。そしてだんだん自分が本当は何がしたいのかわからなくなっていくのだ、と。
「大人に褒められることをすれば愛される」というのは、裏返せば「大人に気に入られることをしないと愛されない」ということでもある。自分がただ自分でい るだけでは大人は愛してくれない。その人に気に入られるようにしなければ愛してもらえない。それを身に沁みて学んできた子供は、他者評価に従い、周囲の様 子を窺って自分のあり方を決める大人になってしまう。彼の自信は「自分が自分らしく存在すること」にあるのではなく「いかに他者から評価されるか」にか かっているのだ。
大人のみなさん。
「周囲に合わせる生き方」、「周囲に気に入られるように生きる」生き方、幸せですか?